●タニオコバ12歳の出来事。

 私があのMGCを退職してタニオコバになったのは平成3年。以前のこのコーナーにあったように、果ては業界全体を巻き込んでしまうようなMGC時代には想像もつかなかったショッキングな出来事が起きたりして、アレヨアレヨいう間に12年が過ぎてしまい、その間にトイガン業界も随分と様変わりしたようです。

 MGC製品がモデルガンからエアーガンにシフトしたきっかけは、業界初のリキッドチャージマガジンを持ったDAセミオートの93R。命中精度は悪かったが、リキッドチャージマガジンとの組み合わせで初めて実用性を獲得したMGC・グロック。これで私はMGCとタバコを辞めました。

 その後は皆さんご存知のトイガンの開発工房から始まった有限会社タニオ・コバです。
そして又々ご存知がイロイロと起こり、この間、東京マルイさんを初めイロイロなメーカーさんの仕事をさせていただいたお陰でタニオコバは生き延び、12歳となりました。
 
 今年の秋、何年間も業界全体を巻き込んだあのイロイロも全部終結。コバは12歳だが私が初めて日本最初のモデルガンを作った昭和36年から今年で42年。従って私は当年67歳!。ハタと気がつきゃア中身はケッコウなジジイじゃないか!!。だって65歳からの筑波サーキットのタイムトンネル招待選手資格を2年前にもらっちゃってるもんナア……。

 そう考えてみると後何年現役でこの仕事を続けられるのか?。そろそろ“自分の時計の針を逆算読み”して仕事をしなければ…。という事で、今年からメーカーさんに我侭を聞いてもらって仕事を休ませいただき、コバ10年の自分時計の逆算仕事として、自費出版的製品シリーズを開始することになりました。

 そのファーストトライの設計を今年春から開始。今では量産金型も大分出来上がり、8年前のUSPのスタート時のような失敗をしないように、今回はトライ&エラーの時期をじっくり取り、間もなくやってくるガスブローバックの天敵、冬将軍に負けないように、毎日毎日そいつのシゴキをやってます。

 

●スタッフは、まるで昔の同窓会?。

 原設計はモチ私。 CAD設計は倅。 ここまでは何時ものコバと同じ。
 しかし今回からは、元MGCのベテラン量産主任が参加して、モデルガン時代の腕を振るってくれる事になりました。金型作りには、当時スライドやフレームを初め、22年前に同じ部品の金型を作った夫々の会社が担当し、お互いに22年間の金型技術の進化を発揮してくれたのです。
 MGCの廃業と伴に転業した会社はしかたが無いとして、プラスティック成形。ダイキャスト鋳造。部品加工。プレスやバネ屋さん等、その殆どが当時このモデルガンに携わった会社が腕を組んでくれました。
 MGC時代に不測で不遇だったモデルを蘇らそうという私の一存に、懐かしい人達が共通の夢に向かって協力してくれたんですからこんなに嬉しい事は無いですよ!。

● ♪なんだろなーナンダロナ〜。


 そうです。こんな背景でスタートしたファーストトライモデル
 
それがVP-70Mです。